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体験12:2度目の憑依 その5「プロローグ:依存」

 意識を変えることが出来たと言っても、死霊はしぶといので、それからも何度も攻撃してくるが(頭痛と胸の痛みがするので分かる)、この私のトリガーを発動させると(自分自身が平和であるを意識すると胸からエネルギーが湧き上がる感覚がある)おさまるのだ。それが7月5日の日中である。「やっと抜け出せる」と確信出来た。

 しかしその直後!なんとAさんから連絡が来て(こんなタイミング!)、今月ランチに行こうとお誘いが来た。死霊がどうしても私に未練があって(いや、もうあなたとは波動が違ってますから!)、Aさん(同じお守り何個も持ってる😅)を使ってもう一度強いエネルギーで入り込もうと企んでると気付く。でも私の波動も上がったので負けないか?と思いつつ、今はまだ自分のバリアも出来立てほやほやなので、どうしたものかと迷ったので、迷っているなら易に聞くべきと、自分で出来る簡易の易に聞いて見た。
 そうするとなんと「地火明夷(ちかめいい)」が出た!「無能の ふりをして難を逃れ、後日に備えて実力をたっぷりと蓄えるべきです。」と!まして、四爻だったので「とうとう悪人の腹の内を知りえました。うまい逃げ道を考え、何としてでも脱出することです。」とのこと。私が思ってた通りということだ。死霊の腹の内を知ったので、Aさんには「体調が悪いので涼しくなってからにしましょう」と断りを入れた。グッドジョブではないだろうか!確実に死霊のパワーが弱くなっている証拠でもある。
 後で分かったことだが、7月8月はお盆の時期。この時期は霊のパワーも増すらしく、まさに狙って来てたということだ。でももう私にバレちゃってますから。

 死霊を跳ね返す方法が分かったので、先生も心配されていると思ったので、意識の変容が出来たこと、自分のトリガーを見つけられて、邪気のパワーが弱くなっていることを、Aさんの話も伝えながら報告のDMを送った。先生は私を叱咤した後、私が「甘い考えでした」と返信を送っていたが、それには返信がなかった。それでも、また私から今の状況を伝えた。叱咤された後だったので、私も勇気がいったし、先生からもし返信があってもまた「考えが甘い」と怒られたらどうしようと、先生は易で私の状態丸わかりだから、怖かった。
 そして迎えた6日の次の日。この日は私が楽しみにしてた舞台公演があって、出かけた。その前に先生から返事が来ているか確認したかったが、来てないと落ち込むし、来ててもまた叱咤かなと怖いので、とにかく楽しみだった舞台は楽しみたいので、帰宅してから確認しようと決めた。公演はとても素晴らしく、嫌な事は何も起こらず、気分的には清々しかったので、久しぶりに邪魔や嫌なことがなく、とっても舞台を楽しめて帰宅出来た。それも大変嬉しかった。
 
 帰宅後、DMを見てみると先生からの返事が来ていた。ドキドキしながら先生のメッセージを開く。
 そこには、私ががんばっていることを喜んでくださっていること、先生も易の神様に祈ってくださっていたことが書かれていて、叱咤でもなく、死霊がまだ抜けてないと言うような悪いことも言われなくてほっとした。
 そして、先生ご自身が憑依され10年苦しんだ時のことが長い文章で書かれてあった。私も先生のその当時を知っていて、でも先生は易で自分で聞けるので、すぐに解決されると思っていたが、なかなか除霊できずにいたと知った。でも元気になられてから、一度その時のお話を聞かせて頂いたが、今回先生が書かれていた内容は私が初めて聞く、最終的にどうやって除霊出来たかの詳しい経緯だった。
 その内容とは、先生はもちろん易にどうやって憑依している悪霊を追い払えるのかって聞いていた。易の答えは「霊達と同じ波長を持っているから影響される」「神さまに助けて貰いたいと言う意識が依存の意識で 依存するのは 霊が人間の体と人間のエネルギーに頼るのと同じこと」と言われたそう。それが当時の先生には理解できなかったらしい。先生は、どうしたら自分は霊達と違う意識になれるんだろうか。自分の感覚の何が霊達と共鳴するのだろうかと考え続けて2年費やしたそう。
 そして、ある日、霊は霊自身の不都合な問題は、神仏か政府か病院か目上か愛ある人(要はお人よし)が助けるべきだと思っていることに気付く。人間も結局そうであるのだ。自分の不都合な問題は相手が悪いと思う。特に私の家族のような毒人間達は。
 そこで先生は、易をしていることもあったと思うが、ずっと今まで先生自身が、相談にくる相談者や、自分が今憑依されて苦しんでいることなど、神様が助けてくれると思っていたことに気付いたそう。どういうことかというと、先生自身も霊と同じ誰かに助けて欲しい、助けてくれると思っている期待が依存であり、霊と同じ波長だったと気付いたのだ。自分で自力で悟らないと本当の成長はないということだ。
 そして先生はそこから私にこう言うのだ。

「依存する意識って甘さだと思うんです。怒りも悲しく思うのも期待があるからだと思います。ダメな人間を見て悲しく思うのは、そのダメな人間に出来ない意識を期待しているんだと思うんです。ダメな人間に期待してしまう自分の感性がそれと同じだと気づくこと。仕方ないって思えないのは、他者の人格の未熟さに大きな期待をしているからだって。達観出来るだけで、依存する霊と波長は繋がらなくなるんです。浮かばれない依存する霊は自分に甘いんです。ですから自分を律する意識が生まれれば彼等の影響が来づらくなるんです。」

 私は理解したようで、その先生のいわんとする意図が心からまだこの時点では分かっていなかった。
 そして、さらに先生は

「沙羅さんは、繊細で綺麗な心の人ですから、綺麗な気持ちを自分にも他者にも持っているべきだと思っているのかもしれないです。
この人間社会にそれを願うのは、幼い子供の気持ちだと、沙羅さんの守護神様が易を通して、沙羅さんに伝えて欲しいと出ていたんです」と。

 私はこれを読んでもまだ本当の意味での自分の一番の欠点であって、最大の問題が分からなかった。伝わってはいるのだけど、どこか他人事に思えた。
 それでも、大変助かったので、先生に感謝の返事を書いてたら、頭痛がまた襲って来た。やっと私のトリガー「自分自身が平和である」ということを知ったのにだ。でもまだそれを唱えると一瞬は治る。でもまた痛くなる。
 どうして?何がそうさせる?と、先生のその返事の中に、何か見落としてるものがあるのかもしれないと、何度も読み返した。

 そうしたら、やっとやっと本質に気付いたのだ!

 私の場合は、相手を改心させたい(家族を諭したいも含む)ということが
「期待」という「依存」だったのだとやっと理解出来た。私は(先生の私が綺麗な心の人は言い過ぎだが)人は絶えずフェアであるのが「正」だと思っていた。なので相手にもフェアであれと思い、そうでない人達に対して怒りが湧いて来ていたのだ。先生のおっしゃる通り、他者にも自分の正しさを求めてしまっていた。私の霊団が一番言いたかったのは、そこなんだと心から伝わった瞬間だった。
 さらに、私は母や姉の姿を見て、ずっと何かに依存している人を軽蔑してたというか、見下してた。でも軽蔑し、見下してた私自身が「依存者」だったということ!諭すことや分からせようとすることが相手に期待している依存であるということ。
 さらに先生は
「他者に期待するのは、自分の弱さ」であると。これも衝撃だった。期待することは「傲慢」と言われれば反発心も湧きそうだが、「弱さ」と言われると完敗だ。

 私は依存者で弱く甘かった。それが、今回の霊と波長が合ってしまった原因だったのだ!

 私はずっと一人だったので、誰よりも自立していると思っていた。でも想像つかない角度から依存をしていたことが本当に目から鱗。
 それを悟った瞬間、頭痛が消えた。そして、ここ何日も鳩尾が何度も痛くなっていたので、深く深呼吸することも出来なかったのに、それが出来るようになって、本当に全てから解放された感覚が分かったのだ。
 これが7月6日(土)の夜だった。凄い目覚めと意識の変容が出来た瞬間だった。

 トリガーは序章に過ぎなくて、本当に霊団が気付かせたかったゴールはこれだったのだ。
 気付くの遅って思うけれど、これも必然で時期と縁なんだなと思う。

 先生はさらに「達観」することが大切で、それも完璧でなくてもよくて、それも含め達観すればいいのだと教えてくださった。

 2001年の石の事件の時は、この世ではない世界があること、守護霊がいたことなどの気付きと目覚めがあったが、今回の事件は、さらに自分の意識を変えることで、周波数を上げることが出来た。そして、自分が持ってていつも苦しかった怒りや悲しみを解放させてくれた。
 今回の霊団からの試験は、先生と親友がいなければ到底無理だったと思う。

 依存の範囲広過ぎだ😅こんなの気付くの無理ゲーだと正直思った💦自分が依存者だったなんて自分に呆れて反対に笑いが出てきた😆

 新たな自分の自信となる体験だったが、まだまだ気を許さず、これからも謙虚に、この意識を確固たるものにしていこうと思う。

 

・自分自身が平和である

・他者に期待することは依存でり、自分の弱さである

・達観することは薄情や無関心ということではないということ

 全てのことは必然。そしてシナリオ通りである。でも意識は変えることが出来、世界線を変えることが出来る。
 意識の変容で移行出来た今の世界線では少しでも優しい事が増えている世界であると信じたい✨

 余談だが、今回の憑依されてた時、私が瞑想しようとするとことごとく邪気は邪魔をして来たので、やはり瞑想(自分を内観)することは周波数を上げる一つの方法でもあるのだと思う。

 あと、悪霊に憑依された人は人相も変わる。先生も憑依されていた時、恐ろしい形相になっていたそう。私も気付いたら頬が痩けて人相が変わっていた。本当に怖い。

 

 さらに、今回のことで、一つ気付いたことがある。それは後日、サイトのどこかに掲載しようと思うが、今後開設するnoteにも今回の憑依で書ききれてない余談や後日談を書いていこうと思う。

 これで、5月からの人生2度目の憑依体験は意識変容と共に収束することが出来た。

 先生、親友、そして霊団に深い感謝を🙏



 2024年9月3
 

 

→体験13:鳩尾の痛みの意味

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