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体験11:2度目の憑依 その4「意識変容」

 「死霊!?」

 この言葉で初めて「恐怖」を感じた。今までは「全てが必然で意味がある」というポジティブな気持ちで怖いと思ったことはなかった。霊団を信じていたし。でも先生からはっきりとした原因を聞かされて、何か取り返しのつかない大失敗をしてしまったような感覚に陥った。が、次の先生の言葉で、新たな光も見出せた。

「霊の意識と共感出来る意識を沙羅さんも持っているので 波動があってしまっているそうです。」と。

 ここで「波動」というキーワードに驚いた。「
体験8:2度目の憑依 その1『エピローグ』」にも書いているが、2024年に入ってから降りてくるメッセージは「波動」で、周波数を上げると違う世界線へ移行出来るのだと考え始めていたからだ。霊団はこの憑依の時の為に私に「波動」を意識させていたのだ。

そして、次の先生の言葉で私は「新たな光」を見出すことが出来た。

「クリアーするのを沙羅さんの守護神は振り回される自分を脱して欲しいと思ってただ見つめているそうです。」と。

「ただ見つめている」ということは、絶対に私は乗り越えられると知っているからだと、映画でいう「ネタバレ」を教えてくれたことになる。「だったらやってやろうじゃないの!」と恐怖より力が湧いて来た。さらに、先生がはっきり教えてくださったので、ターゲットもクリアになり、方法は波長をずらす事だと対策も知れたことは大変大きかった。そのことから、5月からの邪魔ばかりされた現象は全てその死霊の所為であったということ。霊団は見つめているだけというが、そうではなく、こうやって、先生が私の投稿に気付くようにし、先生を通してメッセージを送って来ているし、5月の旅行でヒビが入った湯呑みで教えてもくれていた。ちゃんと霊団は私を助けてくれている。

 先生から「死霊」と聞かされ、ようやく漠然としていたことがどんどんクリアに分かってくるのだが、5月の下旬に知り合いのAさんから貰った「お守り」を神社へ返納した時は、一旦、その死霊は祓えた、もしくは霊力が弱まったのは確かだろう。しかし、問題は6月12日の奈良。その時に再度入られたのだ。どうして分かるかというと、その時に謎の血尿が出て、家の外灯が消え、実はあの時に奈良に持っていって子鹿や風景を撮っていたデジカメのメモリーが家に帰ると反応しなくなっていたからだ。外灯もそうだがメモリーもおかしくなっていた。(霊は電気系統と相性が良いのは、1度目の憑依で経験済み)その時に「まさかまだ終わってない?」とは一瞬思ってはいたが、やはりその時に再度入られたということだ。

 そして、この時期から気付いたのだが、鏡で自分の顔を見て驚愕したのだ。頬が痩けて死神みたいな顔になっていたからだ。(私は痩せている方ではなく、中肉で顔も丸いのにだ)

 では、どこからどうやって入ったのか。霊が憑依する時は、自分が霊に見つけられた時である。奈良へ行った時に見つけられてしまったということだ。なぜ?それは「お守り」を持っていたからだ。
 実は、知り合いのAさんが欲しがっていた映画に出てきた「お守り」は、人気になってしまって、売り切れで予約状態で、2ヶ月程待たないと届かなかった。しかし、偶然私の父のお墓のあるお寺のものとその「お守り」が酷似していて、そのお守りも人気になっていたことから、Aさんの為に私がお寺に行って買って来て、3月8日に彼女に会って渡していたのだ。その時にせっかくならと普通は絶対買わないが、なぜか私の分も買ったのだった。そのお守りは最初はとても良い気を出していて、知人のAさんに渡したら、彼女の持病も良くなったので、間違いなくその「お守り」はご利益がしっかりあるものだった。私はその「お守り」はカバンに入れて持ち歩いていて、4月に1泊旅行をして、とても楽しく有意義な時を過ごせていた。なので、その「お守り」は大丈夫だと思って返納せず今まで持ち歩いていた。しかし、Aさんから貰った「お守り」の邪気(死霊)が、私の「お守り」に移ってしまっていて、一旦はAさんからの「お守り」(根源)は返納して祓ったのに、奈良に持って行ったため、身に付ける形になり、その「お守り」からもう一度強いパワーで入られたという訳だ。

 「お守り」は霊を引き寄せやすく、「電波塔」もしくは「ポケストップ」と言った方が分かりやすいかも。
 

 その先生からのお返事に私は感謝と、5月からこのように邪魔ばかりされてきたこと、私に浄化されたいから来たのかもしれないと、諭したりしていたと書いた。そうしたら、先生から今度はとても厳しい返事が返ってきて、自分の甘さを知ることとなる。

「浮かばれない意識の人間って 反省心がなく依存と不満の多い霊なんです。そう言う人達は 生きていても死後も諭してわかって行くものではないようです。頭のおかしな人間に関わって諭して行こうとする人を どう思いますか?親切かもしれませんが 幼稚ですよね。害を受けないようにするには一切関わらないことです。」

 「幼稚」と言う言葉に愕然とした。私が幼稚?最初は理解が追いつかず、とにかく先生は私の考えの甘さに怒っていることは伝わった。先生自身も大変な恐ろしい霊に憑依されて何年も苦しまれた経験があるからこそ、私にピシャリとおっしゃってくださった。さらに先生はご自身の体験と、色々な人の体験を交えて
「達観」することが大切だと教えてくださったのだ。
 私と同調している「怒りと悲しみの死霊」。それを跳ね返すには、「波長をずらす」ことであり、「
体験8:2度目の憑依 その1『エピローグ』」に書いた通り、私はずっと家族に対して、日本の将来に対して、怒りと悲しみがあって、どうしてもその意識を手放すことが出来ずにいた。その波長と同調して憑依した死霊。それを諭してる場合でもないし、愛を持ってなんて悠長なことを言ってる場合ではなく、キッパリと突き放すことであると。それには私自身の意識を変えないといけない。

 

 でもどうやって?


 先生に私の考えは「幼稚」と言われて、正直凹んだ。でも、先生の言葉一つ一つが霊団からのメッセージでもあるので、ここから一人でなんとかしないといけないと新たに気を引き締め決意する。それが7月2日(火)のことだった。

 

 7月3日(水)、決意したはいいが、不安もあり、易に聞こうかと思った。私は先生程の詳しい易は出来ないが、最低限の基本だけは知っていて、簡易の易をすることがある。簡易と言っても、鋭い厳しい答えが出ることがあるので、嫌な結果だと凹むので、今回はタロットカードをしてみた。出たカードは「教皇/正常位」で下の画像の通り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これはまさに先生のことだと思った。そして、次の日、他にもう一人、タロットの答え通り、当てはまる存在が出てくるのである。
 
 5月4日(木)、私の「お守り」を浄化しつつ、頭痛もするので、もうこれも買ったお寺に返納した方がいいなと、その日のうちに返納しに行った。ついでに父のお墓参りもと思ったが、それを考え出したら鳩尾が痛むようになった。「鳩尾」が痛む時は必ず「霊団」からのメッセージ。何か間違ったやり方をしている、またはしそうな時に「鳩尾」の痛みで教えてくれるのだ。ということは、「お墓参りはせず返納だけで帰ること」だと気付いて、返納のみで帰宅した。どうして霊団がそう伝えて来たのか理由ははっきり分からないが、お墓もまた色々な霊がいるので極力避けろということか、父のお墓に邪気を寄せつけるなということか。

 先生は
「達観」することの大切さを伝えてくださった。頭で分かっていてもどうしても心からの理解が追いつかない。私の「お守り」をお寺へ返納しに行った日、前出の親友からメールが来ていた。親友には、「怒りと悲しみ死霊」が憑いていること、その怒りと悲しみは家族と日本に対しての気持ちなどを話していた。その返事が来てたのだ。そのメール内容で、どこか惹きつけられる内容があった。
 彼女は、私の侵略に対する怒りとは、思考が侵略してきてる人・国に焦点が当てられていて、負に焦点が当てられているという事だから、私の感情が勿体無いと言って来た。また、彼女自身が以前気付かされたのはと、こういう話をしてくれた。

「Anti WarではなくPro peaceってこと。どちらも同じ事だけど、Anti Warは負の感情Warに焦点が当てられてて、Pro peaceは正の感情Peaceに焦点がある。同じ願いだけど、願う時の自分の中の感情が全然違うって気づいた時にちょっと感動したのを覚えてる。」

 無事に私の「お守り」も返納出来たし、これでほっとして、「何か楽になった気がする」と思っていた。そしてその夜、寝ようかと思って、ふと、もう一度親友のメールを読んでおきたいと思って、読んでからベッドへ入った。
 所が、それからどんどん頭痛と鳩尾まで痛くなって来た。胸が痛むって、霊団からのメッセージで私が間違った方向へ行っている時の現象なので、なんで?と。まだ何か足りないのかと。とにかく寝ようとベッドに入ったが、頭痛と胸の痛みがどんどん酷くなって耐えられなくなった。これは大変だと思った。でもこれ以上何をどうしたらいいのか!はっきり教えて!と思いながら、仰向けになって、以前先生に教えて貰った腹式呼吸からの瞑想を始めた。そして、寝る前に読んだ親友のメールの内容を思い出した。彼女のメールの内容で、最初読んだ時から気になっていたワードがあった。それが「Peace」。そして、「Anti War」と「Pro peace」の違い。さらに、自分の意識を、正の感情「Peace」に焦点が当てられた方向へ向けた。
 波長を上げるには自分の周波数を変えないといけない。それはつまり、自分が「平和」であればいいんだと。だから「自分自身が平和である」と意識した。そうすると、急に胸からエネルギーが溢れて来て、視界が開けた感覚。これだったのかと!これが、これこそが、私の意識を変えるトリガーだったのだ。
 私自身が平和でありさえすれば良かったのだと。そこには大きな「Calm」が存在した。私自身はすでに平和を一杯持っていたのに(恵まれていたのに)、自分の家族を許せないという気持ちで怒り悲しみを勝手に作って、不幸せにしていたということ。「自身はすでに平和を一杯持っていた」これが本当の「恵まれていることに感謝する」ということだった。自分はもともと平和だったんだと。親友のお陰で私のトリガーに気づけて発動出来た。
 一見「自分が平和」と思うことは、自分だけ良ければいいのかという負の感情(邪魔をする自我)が出てくるのだが、全く違って、「自分自身が平和である」と意識すると波動が上がる。波動が上がるということは周波数・振動が上がるということで、その波は周りに影響を及ぼし、周りも同じ周波数に変わっていくということ。
 分かりやすいのがメトロノームの同期実験。それが個々の波動で起こるということ。そしてワンネスの波動を作る。 だからまずは「自分自身が平和である」と気付くことが大事で、白状でも自己中でもなんでもなく、よく「まずは自分から変わること」と言うけれど、本来の意味はそういうことだったのかと心から理解出来た。そこには家族に感情を向ける必要もなく、また、国への憂いを思う必要もなかったと悟る。自分が平和でありさえすれば、いや、もとから平和だったと悟ることで、周りが変わっていけるのだとようやく理解が追いついた。未熟者だった。
 そう気付きたとたん、意識変容が起き、一気に頭痛も鳩尾の痛みも消え去った。
 それが7月5日(金)の深夜だった。深夜に親友や易の先生、霊団に感謝で号泣した。
 

 しかし。。。これでやっと終わったと思ったのだが、これは序章に過ぎなかった。ここからが、本当に霊団が私に教えたかった真のエンディングへと向かう。



 2024年8月31
 

 

験12:2度目の憑依 その5「プロローグ:依存」

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