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体験8:2度目の憑依 その1「プロローグ:前置き」

 まずは2001年の目覚めから2024年までを説明するところから始めたい。これは私自身の記録として残しているので、とても細かく書いている所もあり、とても長くなると思う。でも、その状況や様子があってからの、2度目の憑依と、2度目の大きな目覚めになるので、その過程もとても大切な部分で切り離せない。

 

 2001年の石の事件で最初の目覚めがあり、この世だけでない世界があり、この世は全て必然で意味があると実際に体験したことから、劇的に生き方が変わった。その後は霊的にも「守護霊」と直接会話が出来るようになり、「霊団」から「霊界の道」を学ぶこととなった。その学びや経験は「霊界道」という、このサイトにて書いていることだ。
 私自身は目覚めたばかりで、霊界からすると生まれたての子供状態。なので、一つ一つ霊団は自ら悟らせて、頭の理解から心の理解へ変わるように学ばせて行く。それが時にはスパルタになるので、怠けていると怖いのだ。
 学ばせ方は、直接的な状況や、間接的な本の一説やCMや人の言葉など、この世の自分が目に付くものとして意識させるなどだ。前者は、気持ちのいいものではない状況を作らせることにより、「思考力」を。後者は「直感力」を鍛えさせる為だ。
 どちらも鍛えられ、ある程度のレベルまで落ち着いてくると、思考力と直感力で生活することが習慣化し、そのお陰で生きやすくなっている分、あまり霊界のことを前より意識せず生活するようになっていた。気付けば「霊界道」のこのサイトも放置状態になっていた。
 そして、2019年、気付くと2004年から開設していた「霊界道」のサイトが消失したのだ。とりあえず、再度サイトを作り直したのだが、その2年後に再度消失。全ては必然でそこに意味があると知っていたので、「どうしてこういうことが起こったのか」と考えた。そして、もしかしてと直感が働く。それは「もう霊界や守護霊という枠組みで捉えることは終わり、次の段階へ行きますよ」ということだと。子供の時から守護霊はいるのではと思っていた私に合わせて、霊団は霊界や守護霊という形から気付きをさせたのだと。では、次の段階とは一体どういったことなのか。それが、今回の2度目の憑依へと繋がっていく。それはその数年前から始まっていた。

 まずは2017年、大きな人生の転機がやってくる。「住む土地が変わる」ということだ。人は土地と相性があり、住む所で確実に運気も変わる。

*この時点で1点だけ補足をしておく。2001年の石の事件にて「この世は全て必然である」と気付いたということは、全ては既に決まっているということになる。なので「住む所で確実に運気も変わる。」という言い方は正しくはないのだ。あたかも自分の意思で行く場所を選んでいるかのようだからだ。ただ、その当時では、この世は全て必然だが、一瞬一瞬で自分の思考で新たな道を作っていると思っていた。それも一概に間違いとは言えないのだが、今の気付きからすると、少しニュアンスが違っている。今現在の私が悟った意識変容と新たな気付きについては、またこの体験談の最後にまとめたいと思う。 

  話を戻して、では「住む土地が変わる」とは具体的にどういうことか。それは20年以上暮らして来た土地を離れるということだった。理由としては、高齢になった親をみるためだ。父は数年前に他界し、実家には高齢の母一人で住んでいて、姉が実家近くに住んでいるが、母と姉は昔から仲が悪い。母は毒親で、子供を支配下におくような人で「親は子供より偉い!」と豪語する人。私の家の話をすると長くなるので、端的に言うと、私が実家を離れてから、母親の毒のせいで、姉も毒人間化していた。とにかくそういう事情で、高齢の母を一人置いておくわけにもいかず、私が実家に戻らざるを得ない状況になったということ。これも必然と考え自分の中でポジティブに考えるようにしていた。
 実家に戻って来て、数々の霊団からの護りがあり、私は奇跡的に最悪な自体は免れてはいたが、母や姉のことで精神的に疲労困憊で、感謝が出来ず稚拙で自分勝手な二人に怒りが湧いてくる日々。それでも霊団から学んだ教えがあったので、頑張ることが出来たし、霊団がいつも見守ってくれていることを感じていたので、自分がどれだけ恵まれているのか感謝できる日々は送っていた。が、まだまだ私は霊界から見ると未熟で子供だった。その証拠に知らず知らずのうちに、逃げることが出来ない親子問題にストレスは溜まっていったのだ。
 あともう一つ、私はどうしても怒りが湧いてくることがあった。それが日本の将来を憂うものだ。政治やメディア、司法もだが、既に侵略最終段階で、土地も水も脅かされている日本の現状にだ。真面目で謙虚な人が苦しむ世界をどうしたらいいのだろうと、大好きな日本の文化や人々の生活が脅かされている現状に、無力な自分や、無関心な人々に苛立ちと悲しみがあった。
 この世の真実(この世だけではない世界は存在して、全て必然である)を知っているのに、こういう感情は良くないと分かっていたが、どうしても自分の意識から取り去ることが出来ず、それがまた苦しくて救って欲しいと心が悲鳴をあげていた。悲鳴をあげる程なので、体調も良くなく、不調が続いていた。
 

 サイトが2度消滅し、新たな意識変化の時というメッセージを霊団から受けていたので、それはどういうことなのか模索中なのもあり、そういうもろもろの自我の感情もなんとかしたくて、しばらくご無沙汰だった精神世界の情報をまたチェックするようになった。最初の目覚めがあった2001年から数年は霊界への興味で、その当時色々サイトを見ていて、このサイトの「リンク」ページに、当時見ていたサイトを紹介しているが、とんとご無沙汰だったので、特に当時から気になっていた人のサイトを「今はどうしておられるのか」と覗いてみた。それが2019年だった。彼はその後本を出版し、講演会も開き、youtuberにもなっていた。最初は彼の体験をブログに書いておられただけだったのに。そして、彼の講演会に行きたいと思うように。前から彼と彼の守護霊様に引き寄せられていて、今回もそんな感じだった。彼から何か私が救われるメッセージを得られそうな気がして。
 そして、彼の講演会に行ったのがその年の12月。会場に着いて、席に座って、彼の講演が始まるのを待っていた。心が苦しくてたまらなかったし、誰か助けて欲しいと足を運んだ彼の講演会。スマフォを見ながら待ってる間、恩師の先生がツイッター(現X)を更新されているのに気付く。恩師の先生とは、日本で唯一の易の継承者(易にも流派があり、もう継承する人が彼女しかいないという流派。今はお弟子さんがいらっしゃるようだが。今後<先生>と呼ぶ)。先生との出会いも霊団が繋いでくれた縁。自分にとっては奇跡的なご縁。ずっと親身になって私を助けてくださっている。その先生の投稿は明らかに私のことだと思える内容だった。それは「体調が良くない知り合いがいるので、易で見てみると、よくない波動のSNS(はっきりサイト名が書かれてあったが伏せておく)を閲覧していて、そこからの影響を受けている」というような内容だった。私は当時、思い当たるサイトを見ていて、先生の言う「よくない波動のSNS」と似たサイトだった。そのサイトは人の不平不満が溢れたサイトでみんなが立ち上げるトピックにコメントを残すものだが、コメントがどれも文句しかないものだった。これは姉から教えて貰ったサイトで、中毒性があって、嫌だなと思いながら見てしまっていた。また先生はさらに「そのサイトにその知り合いは書き込みをしているかと看たら、書き込みまではしていないが、見ることによって、悪い気の影響を受けて体調が悪くなっている」と。先生と私はツイッターで繋がっていて、基本先生は私のツイッターまで見てないのだが、いつも私が大変って時に私の投稿を偶然(いや、それが必然なのだが)見てくれて、こうして遠回しでも気にして助けてくださる。私はずっと体調が悪いとツイッターに投稿していた時だった。私は確かにそのサイトを見てはいるが、コメントは一度もしたことがなかった。閲覧だけ。すぐに「私のことだ」と気付いて、「そうか。やはり見るものでも気の影響を受けるのか」と実感。まして、今から霊団が繋いでくれてる彼の講演直前というタイミング。まさに、両方から助け舟。霊界って繋がっているのだなと改めて実感。そして先生に感謝で涙が出てきた。(講演前、まして人がいる会場で一人泣いてる)
 彼の講演が始まった。初めて生彼を見る感動もあったし、学べることもあった。その時救いになったのが「怒りを覚える非常識な行動をする人達は、もともとが無知なんです」というような内容の言葉だった。「そうか。無知な人間に怒っても仕方ないのか」と少し精神的に光が見えたような気がした。また余談だが、彼はその時に「こんな予測は当たって欲しくはないのですが…。具体的に何が起きるのかはわかりませんが、来年は世界的に混乱の時代になると思います」と彼の守護霊様が言っていると教えてくれた。それがどんなものか肝心なことはいつも教えてくれないと彼は言っていたが、私の守護霊もそうなので、やっぱり同じなのかと思ったことも書いておく。そして、彼が言った通り、2020年から世界中が大変なことになった。コロナだ。
 貴重な講演会で行って良かったと思う。でもまだまだ私の心はスッキリしない。帰宅後すぐにいつも見ていた例のサイトはブックマークから削除した。それから一度も見ていない。(姉自体が毒波動を持っているので、彼女から教えて貰ったものはやはり悪い気をまとっていたということも分かった)

 

 今までYoutubeはほぼ見たことがなかったが、コロナ禍になった2020年から本格的に見始めた。そこで初めて知ったが、色々なチャンネルがあるということ。料理から旅、音楽や専門的な趣味や娯楽を配信していて、今までなぜ見てなかったのだろうかと思ったぐらい。そこから、新たな霊団からのメッセージも受け取るようになった。ただ、前回の教訓から、チャンネルによっては、よくない気を垂れ流しているものもあるので、見る動画も注意が必要だと感じながら。
 Youtubeを見始めて、彼の配信も見るようになった。そこで私は初めて今のスピ界隈で流行っていると言っていいのか分からないが、新しい考え方「ノンデュアリティ」を知ることになる。これは「全ては一つである」という考え方。私はこの「ノンデュアリティ」に衝撃を受けた。確かにビッグバンから宇宙が始まったなら、全ては一つであるなと。だったら誰も彼も一つであり、自分であるということ。なので、相手を憎むことも怒ることも無駄で、だって全て自分だからということ。
 さらに興味深いのが、彼の言っていることがそれよりもっと踏み込んだ視点で仏教の教えを交えて説明していて、特に私が気になったのが以下の3つだ。(気になるということは霊団からのメッセージ)

 1)結局全てのものは「無」である
 2)自由意志があると思っているが本当は自由意志はなく勝手に起こっている現象
 3)この世を作り出した存在(無)は一人だったため、寂しくて作り出したのが宇宙

 「ノンデュアリティ」もそうだが、彼の伝えていることも霊界の道から考えると衝撃的なことだった。これが本当のこの世の真理なのか?疑いも持ちつつ(特に自由意志がないってこと)、なるほどって思えたのも正直だ。

 私がどうして、こういう精神世界を探求していくかというと、この世の真理を知って(法則)、自分自身を楽にしたいということからだ。真実か真実でないかは、誰にとってということであり、私は2001年の石の事件から、摩訶不思議な体験を実際にしたので、否定は出来ないからなのだ。必ず法則があって、そこには真理があるはずなのだ。そして、今どうしてもこの苦しい気持ちを解放したいという思い。その思いは宇宙に届いて、必ず救ってくれるのだなと(まあ強硬手段でとても怖い出来事をさせてだが💦)、今ならはっきり信じられるのだが、当時はまだまだ未熟過ぎたため、一つ一つ霊団は段階を踏んで私に教えていく。教えるとは、気持ちの解放の先にある「モノ(気付き)」をだ。ただそれにも「期限」があるということに当の私は知る由もなかった。期限までに気付きを得るべく、そのカウントダウンは始まっていたのだ。

 

 そんな中、2020年4月に2度消滅した霊界道のサイトの3回目の構築を完了した。それが今のサイトになっている。
 そして2020年からまた少しずつ日記を再開している。心の変化が見て取れる貴重な日記となっている。とても模索していて、日々学んでいることが伺える。
 「ノンデュアリティ」と彼の伝える上記のようなことが本当なら「自分」が「私」を造っていて、自由意志もないなら、なぜアセンションを起こそうとしているのか。過去にこの3次元は何度も失敗しているという。そこに矛盾は生じないだろうか。そういう疑問も生まれて、その時の気持ちを日記「Vol. 287 『自分』が『私』をつくっている」に書いていた。日記に書いていた通り、その時に悟ったのが、無数の世界線があり、その一つ一つの世界線はシナリオが決まっていて、自由意志はなく、シナリオ通りに必ず進む。しかし、その世界線を途中下車して違う世界線へ移行することが出来るのだと。その方法は「意識」で出来るということ。自由意志はないが意識は自由なのだということ。
 
 Youtubeを見るようになって、好きなYoutuberも出てきた。特に都市伝説のチャンネル「Naokiman Show」のNaokimanさんだ。彼は都市伝説を分かりやすく説明していて、スピ系の話もある。彼自体もスピ的考え方を持っていて、共感出来るのだ。
 そのNaokimanさんが紹介していた小説家アンディ・ウィアーの短編『The Egg』が衝撃だった。これも詳しく日記「Vol. 290 The Egg」に書いているが、あくまで小説であるのだが、自分以外は全て自分が作り出した舞台であり、キャスト達であるということ。今までいろんなところで「この世はワンネスである」や「全て幻である」や「無」であると言われていたことが繋がって、一番納得出来るものであった。まして、Naokimanさんの木内鶴彦さん臨死体験の動画も見て、実際に木内さんはいつの時代のどの人物の中にも入れたそう。この世の全てのモノが自分の為に存在し演じている(シナリオだから)ということになる。それに気付いた時は、全てのモノ・存在に感謝し、愛を感じた。しかし、しばらく経つと、恐ろしい程の孤独に苛まれた。本当にこの世に自分一人という孤独さに。その気持ちを日記「Vol. 291 孤独の波」に書いている。ここから、私は「私しかいないのなら、誰かに見てもらう為の霊界道やブログなどの発信って空虚であるし、意味ないものである」と気付く。そして、それならば、今後はその孤独な世界に生きる自分の記録用として、日記を書いていこうと思うようになった。それが後々のnote開設にも繋がっていく。自分自身の観察日記だ。「私」だけが生きた証を私自身が証拠として。
 

 その後の日記は完全に自分の記録用として書き綴っている。今もこうして残しているのはそういう理由からだ。いわゆる実験でもある。
 そう思った辺りぐらいから、自分が苦痛に感じるような思考(自我)を自動的にシャットダウン(不安な未来を考えようとする思考が止まる)していることに気付く。これは日記「Vol. 294 思考が止まる」で書いている。そして、明らかに自分の意思ではない思考が降って湧いてきて行動を起こしていると。この不思議感覚が敏感に分かるようになってきた。まさにシナリオ通りに言動しているってことだ。「自分が苦痛に感じるような思考(自我)を自動的にシャットダウン」は、直感をさらに冴えさせる為であり、そのお陰で自由意志が本当にないことも分かるし、「意思」ではなく「意識」で考えるようになっていく。この「意識」がまさに今後さらに重要になってくる。

 

 2024年に入ってから降りてくるメッセージは「波動」だった。全てのモノはバイブレーションで成り立っている。この宇宙全てが波動で成り立っているということ。周波数を上げることで波長が変わり、波動を上げ今の世界線からより良い世界線へ移行出来る。波動は意識で上げることが出来る。私の波動はまだ上に行くまでに超えなければない意識変容が必要だった。

 そして、いよいよ運命の2024年5月を迎える。その数日前にとても心が落ち込むことがあってタロット占いをしている。それを書いている日記「Vol. 300 久しぶりにオラクルカード」を読むと、これから起こることをまさに暗示していた。

2024年8月18日

体験9:2度目の憑依 その2「数々の異様な出来事1」
 

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