タイトルの通りであれば、未来は自分で変えられる筈なのに、
全ては初めから決まっていて、自由意志はないという。
それは、今書いてる、思っているのが「私」であって「自分」ではないから。
「自分」が書いたシナリオの中の「私」だから。
最初はそれに大変救われたが、納得すると今度は絶望が押し寄せてくる。
だったら何をしても意味がないと。
努力も無駄。経験も無駄。生きてることが無駄。
では「自分」は何がしたいのか。
「自分」とは何者でどこへ向かっているのか。
「自分」に正解はあるのか。
など、新たな探究心が湧いてきた。
私の体験上、この世に偶然はないし、導きをくれている何かがいてくれてるのも事実。
「自分」は一体何がしたい?
そして、未来は絶対に変えられないのか。
アセンション(この次元のまま次元を上昇させる)を過去にこの3次元では何度も失敗していて、今回こそ成功させようとしている、ということにも矛盾が出てくる。
すでに未来は初めから決まっているのに何を挑戦する?と。
矛盾点は「私」が調べて「私」の中で納得するしかない。
「私」はやっぱり偏屈だから、未来はすでに全て決まっていても、
奇跡ってあるとおもうのだ。
どうやらそれはあるらしい。
未来は変えられるってこと。
未来は決まっているのに変えられるってどういうこと?って思うが、
「私」が納得した答えは、無数の世界線が存在し、
より「私」にとって良い世界線に移行することが可能だということ。
「私」が主人公のシナリオが無数にあるという。
そして、その導き(ヒント)は必ずあって、
絶えずメッセージをくれてるってこと。
だって、「自分」は「私」のハッピーエンドを望んで期待してるから。
「自分」が思うハッピーエンドとは「愛」を確認することらしい。
とても面倒なことをしてる「自分」ってそもそも何?どこから来たの?
また探究心が湧いてくる。
以前の私は、スムーズに物事がいかないことがあると、
「するな」ってメッセージだと思っていて、
自分にとって良くないことだと思っていた。
いや、思い込まされていた。
でも、違う意味での「するな」メッセージがあると気付く。
それをやってしまうと違う世界線に変わるから。
要は、違う世界線に行ってもらったら「自分」が書いたシナリオが一つ完結せずに終わってしまうから。
もっと引き伸ばして「愛」を確認したかったのに、途中でさっさと「愛」を確認して貰っては面白くない。
でも「自分」は「私」が可愛いから、それをしても怒ることもしないし、次の世界線はより「私」が希望するものに近づいたものになっていくらしい。
その見極めが「意識」であり「直感」で「目覚める」というのだと思う。
と言いつつ、この真理らしきものも、さらに上があるのかもしれない。
私が第一段階の目覚め(気付き)で教えられた「霊界道」と一緒で、
またいつか、これも次の目覚めのためのもので、実は。。。
というストーリーになるかもしれない。
でも、わくわくするのだ。やはりこの世界の真理って。
なので、素直にその導きに沿ってこれからも探求したい。
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