昨日、サイトで更新した「Books」で紹介した「オープン・シークレット」を読んで、改めてワンネスのことを考えると、また新たな疑問が出てきたので、今、私が感じることを記しておこうと思う。
昨日、Tony Parsons氏の『オープン・シークレット』って本を読んだ。
この本が私が今一番求めてる答えがあると思ったから。
面白かった。言わんとすることは理解できるまではなっていた。
でも難しい。シンプルだけど難しい。
そして読むとまた疑問が出てきた。
全ては「ただそこにあるだけ」ということだが、
それを知ってじゃあどう生きればいいのか。
また、それを知って、何になるのかと。
以前親友が投げかけた疑問に答える形で、例を挙げたい。
親友と同じで、私も同じように感じるからだ。
その疑問に、Tony Parsons氏のような人が答えるならって感じで、返答してみる。
>人間社会は家族や会社、組織に属し、自分のアイデンティティーを持つことが、個人という差別化に繋がるなら、反対に自分がどこにも属さないって感じると、それは自分のアイデンティティーが分からなくなるということにもなるんじゃない?
アイデンティティーを持つ必要はない。
持つ持たないと考えることが区別化の虜にハマっているということ。
あなたが思ってる自分はそこには存在しないから。
ただあるということだけなのだ。
>自分の子供と他人の子供のどちらかしか助けることができないとしたらどっちを助ける?絶対自分の子を助けると思うの。
選択を自分がしてると思っているが、それが分離の罠にハマっている。
あなたは本当は選択をしてないのだ。
それは「縁」(周りからの関係性)から来ているもので、あなたの判断ではない。
全てすでに決まっていること。
だから、どちらを選択しようとも(と見えても)あなたの所為ではない。
というように、上記のようなことになる。
>2次元に3次元を理解させようとしても無理なのと同じで、コンセプトすらないものを理解するのって無理じゃない?
と、親友は言う。これは私も何周もして、最後に行き着くのはそこだと思うのだ。
この世の真理を全てを知ってるように話してる人もいるが、その人も3次元の人間である限り、絶対に仙人にはなれないし、理解は100%出来てないと思うのだ。不可能なのだ。そもそも。
ただ、私自身が何周かして、今の回で、一つ理解しそうなのは、ワンネスのその元のもの(神でも宇宙でも創造主でも無でもなんでもいい。全ての根源)は、「自分」を私たちに見つけてほしいと願っていることだと感じてる。
どうしてそんなひち面倒くさいことをその根源がやってるのかは私はまだ分からないけど。
そういう人たちが言ってるのをまとめると、どうやら、その根源は「無」に耐えられなくなって、寂しくなって、いろんな世界線を作ったということ。
時間も何もない「無」が、私たちを作って、私たちはただ「無」が作ったシナリオを生きてるだけであると。だからすでに決まっていて、過去も未来も本来はないということ。
そして、分離した「無」の破片が「無」に気付いて戻ってくるのを待っているということだと私は今の回では考える。
では、今の私はこの3次元をどうやって生きればいいのかってことになってくる。
それは、あるがまま、今のまま、今この瞬間瞬間に感謝をするってことなのかと思う。
そして、好きという気持ちを大切に生きればいいのだとも。
好きなこと、好きな人、好きな服、好きな映画など、それを楽しんで、その中で「無」を思い出してあげることが出来ればいいのかなと、今の時点では思う。
さらに昨日、TV番組で三浦梅園という江戸時代の思想家のことを知った。
1700年代に、彼はすでにこの領域に行き着いて説いていたことに鳥肌が立った。
彼は中国の易の原理を使って、「反観合一」「一即一一」という概念に気付いた。
どうして私たちがワンネスなのか、この説明が一番分かりやすいと感じた。
当たり前でいて、みんな忘れていること。自分の祖先を辿っていくと、最後は一つになる。そこにも「無」を思い出すヒントが隠れていた。
思い出してあげよう。「無」を。かまってちゃんの「無」を。大丈夫だよと、私たちから「無」に言ってあげよう。
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