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  • 執筆者の写真: sarah
    sarah
  • 2024年3月20日
  • 読了時間: 1分

今年に入って、腰痛、足首の痛み、そして、顎の痛みと、体のメンテをするというか、今までの毒が出てきて修復するための膿出しが始まっているように思う。


周波数が上がると次元が変わるので、少なくとも何かしらの違和感が体に出てくるはず。

私の場合それがこのような形で現れているのかなと思う。


腰痛は姿勢の改善中で、よくなっているが、原因が分からない足首の痛みと、顎の痛みは、もし治らない場合は、専門医に診てもらう必要がある。


足首は整形外科には一度行ったが、原因がはっきりしないと言われて、今は安静中。


顎の痛みは、寝てる時に歯を食い縛り過ぎてが原因だと思うが、これも一度歯医者に診てもらった方がいいのかもしれない。


全ては必然で、その必然を理解し、霊界側に全ての意識を委ねる。


それを心がける。

  • 執筆者の写真: sarah
    sarah
  • 2021年9月22日
  • 読了時間: 4分

昨日、サイトで更新した「Books」で紹介した「オープン・シークレット」を読んで、改めてワンネスのことを考えると、また新たな疑問が出てきたので、今、私が感じることを記しておこうと思う。


昨日、Tony Parsons氏の『オープン・シークレット』って本を読んだ。

この本が私が今一番求めてる答えがあると思ったから。

面白かった。言わんとすることは理解できるまではなっていた。

でも難しい。シンプルだけど難しい。

そして読むとまた疑問が出てきた。

全ては「ただそこにあるだけ」ということだが、

それを知ってじゃあどう生きればいいのか。

また、それを知って、何になるのかと。


以前親友が投げかけた疑問に答える形で、例を挙げたい。

親友と同じで、私も同じように感じるからだ。


その疑問に、Tony Parsons氏のような人が答えるならって感じで、返答してみる。


>人間社会は家族や会社、組織に属し、自分のアイデンティティーを持つことが、個人という差別化に繋がるなら、反対に自分がどこにも属さないって感じると、それは自分のアイデンティティーが分からなくなるということにもなるんじゃない?


アイデンティティーを持つ必要はない。

持つ持たないと考えることが区別化の虜にハマっているということ。

あなたが思ってる自分はそこには存在しないから。

ただあるということだけなのだ。


>自分の子供と他人の子供のどちらかしか助けることができないとしたらどっちを助ける?絶対自分の子を助けると思うの。


選択を自分がしてると思っているが、それが分離の罠にハマっている。

あなたは本当は選択をしてないのだ。

それは「縁」(周りからの関係性)から来ているもので、あなたの判断ではない。

全てすでに決まっていること。

だから、どちらを選択しようとも(と見えても)あなたの所為ではない。


というように、上記のようなことになる。


>2次元に3次元を理解させようとしても無理なのと同じで、コンセプトすらないものを理解するのって無理じゃない?


と、親友は言う。これは私も何周もして、最後に行き着くのはそこだと思うのだ。

この世の真理を全てを知ってるように話してる人もいるが、その人も3次元の人間である限り、絶対に仙人にはなれないし、理解は100%出来てないと思うのだ。不可能なのだ。そもそも。


ただ、私自身が何周かして、今の回で、一つ理解しそうなのは、ワンネスのその元のもの(神でも宇宙でも創造主でも無でもなんでもいい。全ての根源)は、「自分」を私たちに見つけてほしいと願っていることだと感じてる。

どうしてそんなひち面倒くさいことをその根源がやってるのかは私はまだ分からないけど。

そういう人たちが言ってるのをまとめると、どうやら、その根源は「無」に耐えられなくなって、寂しくなって、いろんな世界線を作ったということ。

時間も何もない「無」が、私たちを作って、私たちはただ「無」が作ったシナリオを生きてるだけであると。だからすでに決まっていて、過去も未来も本来はないということ。


そして、分離した「無」の破片が「無」に気付いて戻ってくるのを待っているということだと私は今の回では考える。


では、今の私はこの3次元をどうやって生きればいいのかってことになってくる。

それは、あるがまま、今のまま、今この瞬間瞬間に感謝をするってことなのかと思う。

そして、好きという気持ちを大切に生きればいいのだとも。

好きなこと、好きな人、好きな服、好きな映画など、それを楽しんで、その中で「無」を思い出してあげることが出来ればいいのかなと、今の時点では思う。


さらに昨日、TV番組で三浦梅園という江戸時代の思想家のことを知った。

1700年代に、彼はすでにこの領域に行き着いて説いていたことに鳥肌が立った。

彼は中国の易の原理を使って、「反観合一」「一即一一」という概念に気付いた。

どうして私たちがワンネスなのか、この説明が一番分かりやすいと感じた。

当たり前でいて、みんな忘れていること。自分の祖先を辿っていくと、最後は一つになる。そこにも「無」を思い出すヒントが隠れていた。


思い出してあげよう。「無」を。かまってちゃんの「無」を。大丈夫だよと、私たちから「無」に言ってあげよう。

  • 執筆者の写真: sarah
    sarah
  • 2021年4月13日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年4月14日

前回のブログ「Vol. 285 消失からの始まり」にて、私は「霊界道という教えは眠りに入ります」とお伝えしました。


その理由を具体的に記しておこうと思います。


2017年から自我に散々苦しめられていたのですが、自我からの苦しみから抜けた先に、私が理解を得たこととは、三次元の私達は「思い出す作業をしていた」ということでした。


2001年の石の体験から、私は三次元前の記憶を思い出すことが徐々に出来ていたのですが、アセンションに必要なのはもっと思い出さないといけないってこと。

そしてそれが出来る環境に今地球にいる全てのものはあるってことです。

可能なのです。


引き寄せの法則の本当の意味とは、私たちが引き寄せているのではなく、すでにあるものに、私たちが近づいて行っているってことだったんだと。

引き寄せられていたってことですね。

私たちの「今」は、すでにあるもの(存在しているもの)を思い出す作業中であり、私たちの意思で未来を変えてなかったってことなのです。


すごい180度見方が変わったのです。


この真理をすんなり受け入れるためには、私の場合、そのとっかかりが守護霊や霊界という入り方だったのです。「私たち」が、そのほうが私が気付きやすいと判断して、私にプログラミングされていたってこと。

そこから真理の基本を思い出すことができ、今の更なる気付きを得ることが出来ています。

ただ、疑問もあって、何故に誰がどういう理由でそんなしち面倒臭いことをさせているのかってこと。

それも全て自分ではなく「私たち」らしいのですが、そこがまだ理解できていません。

でも、なんとなく、一番しっくりきているのです。


それを知れると、許せることが増えて来るのが実感できるのです。


「全ては決まっていないから、自分が創造して現実にする」のだと思い込まされていて、

それは一見とても魅力的で自由そうに見えて、実は自分を縛っていたものだったのです。

それが「自我」を発生させていた一つのシステムだったのだと。


全てはすでに決まっていたのです。

その決定的な事実が真に自我から開放してくれました。

自我のスルー力を格段に上昇させてくれました。


なんで誰も教えてくれなかったの?って思うぐらいです。

とてもシンプルで、簡単なことだったのに。

どうして面倒な言い回しで遠回しで、期待を持たせるような、

そして、生きるということに悩ませるような方法で伝えてきたのでしょうか。


それでもまだまだ思い出さないといけないことがたくさんあるのでしょう。

思い出したい。ワクワクします。


ワンネスの本当の意味も、「今」を生きるの意味も、全てがクリアになってきます。


そして、恵まれているとつくづく思う。


私が三次元前に誰かと約束したこと、それはミカエル様との約束だと私は感じていたけれど、「私たち」と約束していたのかなと考えられます。

誰とかなんて今はもう知らなくてもいいとも思っています。

ただ確かに高次の私たちと私が三次元に来るときに約束したことは「万人への愛」だったということは覚えているのです。思い出していたのです。

それは石の事件で最初の目覚めが起きた時に思い出した「約束」だったのですが、今まで自分の中だけのミッションだと思っていて、具体的な約束のワードは誰にも話したことがありませんでした。

でもやっと今それも言うことが出来ます。

だって、自分は私たちだから。


「万人への愛」


その約束した意味も、今ならちゃんと分かります。

まだまだアセンションの波に乗れるようになるには100%ではないかもだけど、以前の理解よりは成長していると感じます。


私たちは共に一緒に、その先を見届けましょう✨




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