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  • 執筆者の写真: sarah
    sarah
  • 2021年9月22日
  • 読了時間: 4分

昨日、サイトで更新した「Books」で紹介した「オープン・シークレット」を読んで、改めてワンネスのことを考えると、また新たな疑問が出てきたので、今、私が感じることを記しておこうと思う。


昨日、Tony Parsons氏の『オープン・シークレット』って本を読んだ。

この本が私が今一番求めてる答えがあると思ったから。

面白かった。言わんとすることは理解できるまではなっていた。

でも難しい。シンプルだけど難しい。

そして読むとまた疑問が出てきた。

全ては「ただそこにあるだけ」ということだが、

それを知ってじゃあどう生きればいいのか。

また、それを知って、何になるのかと。


以前親友が投げかけた疑問に答える形で、例を挙げたい。

親友と同じで、私も同じように感じるからだ。


その疑問に、Tony Parsons氏のような人が答えるならって感じで、返答してみる。


>人間社会は家族や会社、組織に属し、自分のアイデンティティーを持つことが、個人という差別化に繋がるなら、反対に自分がどこにも属さないって感じると、それは自分のアイデンティティーが分からなくなるということにもなるんじゃない?


アイデンティティーを持つ必要はない。

持つ持たないと考えることが区別化の虜にハマっているということ。

あなたが思ってる自分はそこには存在しないから。

ただあるということだけなのだ。


>自分の子供と他人の子供のどちらかしか助けることができないとしたらどっちを助ける?絶対自分の子を助けると思うの。


選択を自分がしてると思っているが、それが分離の罠にハマっている。

あなたは本当は選択をしてないのだ。

それは「縁」(周りからの関係性)から来ているもので、あなたの判断ではない。

全てすでに決まっていること。

だから、どちらを選択しようとも(と見えても)あなたの所為ではない。


というように、上記のようなことになる。


>2次元に3次元を理解させようとしても無理なのと同じで、コンセプトすらないものを理解するのって無理じゃない?


と、親友は言う。これは私も何周もして、最後に行き着くのはそこだと思うのだ。

この世の真理を全てを知ってるように話してる人もいるが、その人も3次元の人間である限り、絶対に仙人にはなれないし、理解は100%出来てないと思うのだ。不可能なのだ。そもそも。


ただ、私自身が何周かして、今の回で、一つ理解しそうなのは、ワンネスのその元のもの(神でも宇宙でも創造主でも無でもなんでもいい。全ての根源)は、「自分」を私たちに見つけてほしいと願っていることだと感じてる。

どうしてそんなひち面倒くさいことをその根源がやってるのかは私はまだ分からないけど。

そういう人たちが言ってるのをまとめると、どうやら、その根源は「無」に耐えられなくなって、寂しくなって、いろんな世界線を作ったということ。

時間も何もない「無」が、私たちを作って、私たちはただ「無」が作ったシナリオを生きてるだけであると。だからすでに決まっていて、過去も未来も本来はないということ。


そして、分離した「無」の破片が「無」に気付いて戻ってくるのを待っているということだと私は今の回では考える。


では、今の私はこの3次元をどうやって生きればいいのかってことになってくる。

それは、あるがまま、今のまま、今この瞬間瞬間に感謝をするってことなのかと思う。

そして、好きという気持ちを大切に生きればいいのだとも。

好きなこと、好きな人、好きな服、好きな映画など、それを楽しんで、その中で「無」を思い出してあげることが出来ればいいのかなと、今の時点では思う。


さらに昨日、TV番組で三浦梅園という江戸時代の思想家のことを知った。

1700年代に、彼はすでにこの領域に行き着いて説いていたことに鳥肌が立った。

彼は中国の易の原理を使って、「反観合一」「一即一一」という概念に気付いた。

どうして私たちがワンネスなのか、この説明が一番分かりやすいと感じた。

当たり前でいて、みんな忘れていること。自分の祖先を辿っていくと、最後は一つになる。そこにも「無」を思い出すヒントが隠れていた。


思い出してあげよう。「無」を。かまってちゃんの「無」を。大丈夫だよと、私たちから「無」に言ってあげよう。

  • 執筆者の写真: sarah
    sarah
  • 2021年6月28日
  • 読了時間: 3分

タイトルの通りであれば、未来は自分で変えられる筈なのに、

全ては初めから決まっていて、自由意志はないという。

それは、今書いてる、思っているのが「私」であって「自分」ではないから。

「自分」が書いたシナリオの中の「私」だから。


最初はそれに大変救われたが、納得すると今度は絶望が押し寄せてくる。

だったら何をしても意味がないと。

努力も無駄。経験も無駄。生きてることが無駄。


では「自分」は何がしたいのか。

「自分」とは何者でどこへ向かっているのか。

「自分」に正解はあるのか。


など、新たな探究心が湧いてきた。


私の体験上、この世に偶然はないし、導きをくれている何かがいてくれてるのも事実。


「自分」は一体何がしたい?

そして、未来は絶対に変えられないのか。

アセンション(この次元のまま次元を上昇させる)を過去にこの3次元では何度も失敗していて、今回こそ成功させようとしている、ということにも矛盾が出てくる。

すでに未来は初めから決まっているのに何を挑戦する?と。


矛盾点は「私」が調べて「私」の中で納得するしかない。


「私」はやっぱり偏屈だから、未来はすでに全て決まっていても、

奇跡ってあるとおもうのだ。


どうやらそれはあるらしい。

未来は変えられるってこと。


未来は決まっているのに変えられるってどういうこと?って思うが、

「私」が納得した答えは、無数の世界線が存在し、

より「私」にとって良い世界線に移行することが可能だということ。

「私」が主人公のシナリオが無数にあるという。


そして、その導き(ヒント)は必ずあって、

絶えずメッセージをくれてるってこと。


だって、「自分」は「私」のハッピーエンドを望んで期待してるから。

「自分」が思うハッピーエンドとは「愛」を確認することらしい。

とても面倒なことをしてる「自分」ってそもそも何?どこから来たの?


また探究心が湧いてくる。


以前の私は、スムーズに物事がいかないことがあると、

「するな」ってメッセージだと思っていて、

自分にとって良くないことだと思っていた。

いや、思い込まされていた。

でも、違う意味での「するな」メッセージがあると気付く。

それをやってしまうと違う世界線に変わるから。

要は、違う世界線に行ってもらったら「自分」が書いたシナリオが一つ完結せずに終わってしまうから。

もっと引き伸ばして「愛」を確認したかったのに、途中でさっさと「愛」を確認して貰っては面白くない。

でも「自分」は「私」が可愛いから、それをしても怒ることもしないし、次の世界線はより「私」が希望するものに近づいたものになっていくらしい。


その見極めが「意識」であり「直感」で「目覚める」というのだと思う。


と言いつつ、この真理らしきものも、さらに上があるのかもしれない。

私が第一段階の目覚め(気付き)で教えられた「霊界道」と一緒で、

またいつか、これも次の目覚めのためのもので、実は。。。

というストーリーになるかもしれない。

でも、わくわくするのだ。やはりこの世界の真理って。


なので、素直にその導きに沿ってこれからも探求したい。

  • 執筆者の写真: sarah
    sarah
  • 2021年5月11日
  • 読了時間: 1分

更新日:2021年6月28日


先生は60歳ぐらいに、ある事故にて生死をさまよってから、突然霊力が身についたそうです。そして、いつも声が聞こえてきて、「この山を歩け」とか「滝に打たれろ」とか色々な修行の方法を教えてきたそうです。そして、先生はその声に従って、修行に励みました。


来る日も来る日も修行に励んだのですが、ある日、「もうやってられない!」「こんな辛いことやってられないわ!それが必要というのであれば、霊力はいりません!」って修行を放り投げてしまいました。


その時に聞こえて来た声が「よう、言うた! その言葉を待っておった」と言ったそうです。


先生は、このことから、「形ではない、気持、姿勢、心が大切なんだ」と学んだそうです。



初出:Vol. 39 修行 2006年12月09日03:19


*ここで書かれている先生とは、あの世の言葉で私達へ言葉を伝えてくださる霊能者で、縁があって(紹介ないと会えない)、2度ほど看て貰ったことがありました。全てお見通しという感じで、確かに視える方と感じました。その先生の体験談です。生き方として参考になると思いシェアさせていただきます。




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