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執筆者の写真sarah

Vol. 298 類共

「類は友を呼ぶ」という諺があるが、今まさにその傾向が顕著に現れているのを実感する。



この世は全てイリュージョンで自分が創り出しているものだと分かると、見えているものや人も、自分の「波動」次第で変わるということ。要は違う世界線へ移行(自分がクリエイト)しているということ。



「Vol. 294 思考が止まる」で書いた通り、去年から気付くと思考が停止している状態で、思考とは自我なのだが、自我が停止することで、「波動」が高まり、自分が今の世界(環境)を創っていることの理解力が高まり、その創られている瞬間にさえ気付けるようになる。



自由意志はない、この全て必然でシナリオ通りの3次元でも、意識を変えることで、他の世界線へ行けるということ。でもそれも全てシナリオ通りなのかもしれないが、それでも新たな世界を見てみようではないかという気分にさせられる。



私自身が実験台として、そのチャレンジを経験していこうと思ってるので、やれるだけ、可能性があるなら、メッセージの導きがあるなら、それに従って今後も進む。



「波動」が上がると、直感が冴え、メッセージに気付きやすくなるし、周りも同じ波動の環境になっていく。



自分自身がブラックホールのように、同じ波動のものをどんどん吸収していっている感覚だ。



それはつまり、同じ波動環境の物や人と共存していけるということ。だから「類共」なのだ。



自分が自我に負けて悪い思考や苛立ち等を持つと、その波動の世界に閉じ込められてしまうので、拘りを捨てること、思考からの解放が大切。



ここまで来るまでにここ2、3年で大変救いになったのが、雲黒斎さんとNaokimanさん。そして、ネドじゅんさんに今のこのタイミングで導かれて、一番しっくり私の意識のあり方の肯定と後押しをしてくださったし。



雲黒斎さんは昔から私の守護霊が縁を作ってくださっていて、彼のメッセージも私の今を作ってくれている。



あと、Naokimanさん。彼のスピ的波動も類共で、彼から色々なメッセージと後押しを受けている。ネドじゅんさんを知ったのも彼の配信だった。



本当に感謝だ🙏



全て波動の類共であり、守護霊からの導きであり、気付きへの道。



最近特にどうしても絡んでくる昔から自分が嫌だと思っていた自我からの解放の仕方をやっと習得出来た。


それはネドじゅんさんの「分からないということは無関心であるということではない」というメッセージだった。



私はずっと悲惨なニュースや日本がジワジワ侵略されつつあることにどうしても我慢できなくて、それを見ぬふりをしていることは「罪」だと思っていた。でも実際にどうすればいいのか。そういうのに悶々としてストレスになっていた。なので、外に出て、外国人のマナーのない行動に遭遇したりすることも多くなっていた。



この世は全て決まっていて、この世の摂理だと頭では分かっていても、自我がそれを思わせてくれないという葛藤に苦しんでいた。数年前に雲黒斎さんが「自我を無視しよう」ということを言われていて、目から鱗で、「そうか!無視するればいいのか」と気付いて、それを実行はしていて、かなり心が落ち着いていて、その訓練のお陰で、去年から急に思考が停止するということが顕著に現れ出したと思っている。しかし、自我ってしぶといので、日本の将来(自分の将来でもある)を憂いんでどうにもならないほど、精神的に来ていた時に、ネドじゅんさんのそのメッセージに出会ったのだ。



「無関心は罪」だと思っていた観念を180度覆すメッセージだった。



「分からない」ってことは「無関心ということではない」。


このメッセージに救われた。



そうすると、「波動」が上がり、直感がさらに増し、自分が創造しているこの世の全てが理解出来てきて、世界線が変わった瞬間にさえ気付けるようになった。



真実は「この世は全てイリュージョンであり、実際は『自分』しかいない」という真理に辿り着くので、最後は恐怖と孤独に苛まれるかもしれないが、私は自分に言いたい「一人ではない」ということ。そして孤独が「不幸ではない」ということも。


こんな素晴らしい世界も作っていることを褒めたいし、だったら、もっと優しい世界で楽しめばいいのではと自分に伝えたい。



まだまだ自分の実験は続く。


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